昔、インドのマガダ国という所にビンビサーラという立派な王様がいました。
マガタ国は元来、釈迦が悟ったピパラの樹(菩提樹)のあるウルベラの森のあるところで、ビンビサーラ王と、その妻イダイケは釈迦に帰依いたしました。
ところが、その息子のアジャセは、王になりたいが為に、父母を捕らえ牢に押し込めてしまいました。悲嘆に暮れたイダイケを訪れた釈迦が「イダイケよ。嘆くでない。若し、心の平安が得たいのであれば、嘗ってイエスの魂の兄弟であるアモンが、真理を説いた西方(エジプト)を思念し、アモンに帰依しなさい。」
南無阿弥陀仏(ナモアモンダーボ)とは、アモンに帰依しますという意味で、この物語が観無量寿経(浄土真宗、浄土三部経の一つ)です。
この無量寿とは光のことで実は、光を観ることを具体的に書いてあるお経であった訳です。
釈迦はイダイケに対して13通りの調和法を示しましたが、13の内最初の四つは具体的な実行可能なもですがあとの9つは観たこともないものを観想しなければなりませんから、実は実行不可能です。
これが観経の最も実践的な、現代語訳です。
お経の通りにやれば誰でも光が見えるようになる、にもかかわらず二〇〇〇年以上もただ唱えたり書き写したりするだけで誰も実践しなかったとは、不思議というか、奇妙といいますか。
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今迄見たこともないものを見るためには、それなりの工夫が必要になります。 人は目に映ったものを全て見ている訳ではありません。また映っていないものを見ている場合もあります。この****目の性質を利用します。 これは、あくまでもトレーニングですから、光が見えるようになりましたらこの観無量寿の図は使用する必要ありません。 現在では観光といいますと物見遊山を意味しますが、本来は光を観る事を意味するのではないかと思います。光を知りますと本来の“光”を観る、観“光”旅行に自然になっていることに気付かれると思います。 |