阿含教というお経によりますと、釈迦(仏陀=Gautama Buddha)が35才で悟って80才で亡くなるまで、45年間説いたのは八正道のみということです。
現在に至るまで時代と共に正しいといわれる基準が変わってきました。変わってしまっては基準になりません。
そして正しいとは両極端を断ったとか、片寄りのないとか漫然と言われて来ました。これは不変の基準あって言えることで、何を基準に両端や片寄りを決めるのかが問題です。
では、その基準はと言いますと「*単純、明快、矛盾なし」です。これこそが正しさそのものであり、心の世界の全ての現象を、調和へ導く基準なのです。
正道=中道=道=基準=4●2●6●です。

そして、この426→3の基準を運用する法則が、**循環(法)6です。
「自己を燈明とし法を依処とせよ」釈迦の言葉です。自己=我=儂=鷲=6です。
法則=法=循環=3●5●7●です。
これは、
3=繰り返す=動
5=何処をとってもαω=瞬間
7=始めもなければ終りもない=永遠
ということです。
3は運動性を意味し、この宇宙の全てが運動しているのは3のエネルギーによります。
ですから体を動かす部品、即ち肉(肉体)は3のエネルギーに対応します。
5は、3動に対し***制御のエネルギーです。
7永遠、持続のエネルギーですから*7を持った人は粘り強さを発揮します。
全ての宗教が神なり仏なりの不滅、永遠性を説きますが、循環(法則)の一部を説いている訳です。
瞬間5を積み重ねることは出来ません。また永遠7を細切れにすることも出来ません。∞小と∞大は同系列上にはなく別々のエネルギーが対応しているからです。そして∞は光の世界にしか存在しません。
当然のことですが物質面でも法則のエネルギーです。物理法則は357の物質面での働きを明らかにしたものです。
このイエスキリストは、水(6)と血(3)をとおってこられたかたである。 水(6)によるだけでなく、水(6)と血(3)によってこられたのである。 そのあかしをするものは、御霊(9)である。 御霊(9)は真理(9)だからである。
あかしをするものが、三つある。 御霊(9)と水(6)と血(3)である。 そして、この三つのもの(9)(6)(3)は一致(9)する。
わたしたちは人間のあかし(6)(3)を受けいれるが、しかし、神のあかし(9)はさらにまさっている。
(ヨハネ第一の手紙5.6〜9)
***教祖134は仏法から
「道(3)即法(6)即光(9)」
と説きましたが、光の組成表と一致します。
また、イエスキリストの「三つのあかし」が光で解明すると同じように、ぴたりと一致することがわかります。
(3)(6)(9)が光の組成表の3→G、6→G、9→G、369→Gの何れかに一致します。
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宗教や精神関係の書物などで「光」という言葉が良く使われています。しかし形而上的、観念的な単なる表現手段として使われているに過ぎません。 しかし光という言葉が何故それ程までに多用されるかと言いますと潜在意識でその本質に気付いているからでしょう。 光と聞くと何となく安心し、また何となく畏敬の念を抱くのはそこに起因するようです。 |